東寺(教王護国寺) (京都市南区)
1336年5月、湊川の合戦によって足利尊氏に追い詰められた後醍醐天皇は比叡山へと逃れました。その際持明院統の人々も比叡山へと連れていかれましたが光厳院は脱出し、尊氏の入京とともにその本陣となった東寺へ避難しました。
石清水八幡宮(京都府八幡市)
京都府八幡市の男山に位置する石清水八幡宮は、”やわたのはちまんさん”としても親しまれています。また伊勢に次ぐ天皇家第二の宗廟としても崇敬されました。
南北朝から戦国期にかけては京都をうかがう西の拠点として、幾度 ...
尊良親王墓所(京都市左京区)
尊良親王(たかよししんのう/たかながしんのう)は後醍醐天皇の一宮と考えられ、元弘の乱では後醍醐天皇とともに笠置山にて挙兵し元弘2年3月土佐へと流されました。
しかし翌年の元弘3年3月、配流先から肥 ...
持明院 仙洞御所跡(京都市上京区)
もとは藤原北家の邸があり、邸内の持仏堂(安楽光院)に由来して家名は持明院家となり、屋敷も持明院殿とよばれました。邸内の寺院は安楽光院・安楽行院と称されました。
やがてその持明院家藤原基家の娘が高倉天皇の ...
名和長年戦没遺跡(京都市上京区)
現在は名和児童公園として整備されています。
海軍大将有馬良橘の筆 による碑文献花台?に彫られた帆掛け船の家紋太政大臣公爵三条実美の筆による碑文大日本国防婦人会が奉納していた謎のモニュメント名 ...
御所八幡宮(京都市中京区)
”御所”八幡宮の由来は、足利尊氏の邸内に勧請されたことからだそうです。
しかしもともとは尊氏弟の足利直義の邸宅「三条坊門殿」があったとされています。
尊氏から政務を委任さ
足利尊氏邸跡(京都市中京区)
ちょうどアジサイの季節だったのでとても華やか。
解説板室町幕府発祥の地
ー足利尊氏邸・等持寺跡ー
京都府保健事業協同組合・保事
六波羅探題跡 石碑
六波羅探題は承久の乱を契機に設置され、元弘3年/正慶2年(1333年)5月に足利高氏(尊氏)や赤松則村らに攻められ壊滅するまでこの地にあった。
最後の六波羅探題南方は北条時益、北方は北条仲時 ...
足利尊氏銅像(栃木県足利市)
足利尊氏公
西暦一三〇五年~一三五八年
八幡太郎源義家の流れをくむ源姓足利氏は、永く当地足利の領主として、また鎌倉幕府 ...
鑁阿寺(栃木県足利市)
足利氏は源義家の子、義国が下野国足利荘(栃木県足利市)に移ったことから始まります。
義国の孫義兼が従弟である頼朝の挙兵に従い、更に代々北条氏と婚姻関係を結んだことで足利氏は鎌倉幕府内で北条氏 ...