東寺(教王護国寺) (京都市南区)

東寺(教王護国寺)

1336年5月、湊川の合戦によって足利尊氏に追い詰められた後醍醐天皇は比叡山へと逃れました。その際持明院統の人々も比叡山へと連れていかれましたが光厳院は脱出し、尊氏の入京とともにその本陣となった東寺へ避難しました。

尊氏は東寺の本堂を皇居と定め、自身は食堂にて生活したそうです。

食堂

東門(不開門)

1336年6月30日、京都中で合戦が行われるなか、新田義貞は東寺の尊氏の元へと攻め寄せます。太平記には義貞は尊氏に一騎打ちを申し込み、その際に放った矢は本堂の北東の柱に刺さったと書かれています。

また義貞が攻めてきた時、東門を決して開けなかったことから不開門(あかずのもん/あけずのもん)と呼ばれるようになったそうです。

東門(不開門)

東寺鎮守八幡宮

東寺の境内にある八幡宮。

義貞との戦いのさなか東寺鎮守八幡宮から”矢”が飛んで尊氏が勝利したそうです。戦の翌日7月1日、尊氏は東寺鎮守八幡宮に所領を寄進して天下泰平国家安寧を願っています。以降、歴代の足利将軍も東寺を厚く庇護していきます。

詳しくはこちら→ 東寺百合文書WEB 百行百話19 (別窓で開きます)

東寺鎮守八幡宮

その他の見所色々

五重塔
金堂
講堂
講堂へ仏像搬入中

今年の3/26~6/2まで東京国立博物館平成館で「国宝東寺ー空海と仏像曼荼羅」展のために移っていた仏像がちょうど戻ってきていたところでした。講堂からは15体の仏像が東京へ行っていたそうです。梱包材でぐるぐる巻きの仏像はそうそう見れないので珍しい姿を拝ませてもらいました。

輸送会社はやはり日本通運さんでした。さすがです。

南北朝時代,史跡

Posted by sata04