定義如来西方寺(宮城県仙台市)

平家落人ゆかりの寺

平貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦いのあと、平重盛の遺言に従って御宝軸をもちこの地へと隠れ、名前を定義と改めたのがこの地を定義(じょうぎ)と呼ぶ由来になったそうです。

貞能の死後、墓の上に小さなお堂を建て御宝軸を安置しました。

その後貞能の重臣の末裔、早坂源兵衛が出家し、宝永3(1706)年に西方寺を開山。

山門

建築は気仙大工の花輪喜久蔵、彫刻大工は石井寅正。

貞能堂

貞能堂は貞能の墓の上に建てたお堂が起源とされています。

現在の六角堂(鞘堂)は昭和2(1927)年建立。その後六角堂の背後に方形の裏堂が増築されました。

裏堂の増築は昭和43(1968)年で、設計は山門と同じく花輪喜久蔵、大工棟梁は花輪伝吉、彫刻は石井寅正。

平成11(1999)年に現在の大本堂が建設されるまで本堂として使用されていました。

あまりに繊細で緻密な彫刻で飾られているので見応えがあります。

大本堂

平成11(1999)年に建立。

五重塔

昭和61(1986)年建立。高さ約29メートル。

史跡,江戸時代

Posted by sata04