明王院(群馬県太田市)

明王院 安養寺館跡に建立

明王院は中世、近世においては安養寺という寺院があった場所です。安養寺とは新田義貞の法号でもあり、もとは義貞の館であった可能性が高いとされています。

義貞の死後、足利尊氏が新田岩松頼宥に「木崎村安養寺義貞跡」を与えたり(長楽寺文書)、義貞の菩提を弔うために新田荘八木沼郷を長楽寺に寄進(長楽寺文書)しています。そういったことから安養寺は尊氏の思いを受けた岩松頼宥が義貞の菩提を弔うために建立したとも考えられています。

1855(安政2)年に描かれた安養寺村絵図では、中世の館(安養寺館跡)から寺院(明王院安養寺)に転化する様子がわかります。

絵図はこちらで見れます→太田市文化財紹介:安養寺村絵図

現在の門
本堂 2017年11月落慶

脇屋義助供養塔婆

1933年に境内から「康永元年(1342)壬午六月五日前刑部卿源義助生年四十二逝去」と刻まれた板碑が出土しました。その内容から新田義貞の弟脇屋義助の供養塔婆だとされています。

詳しくはこちら→太田市文化財紹介:源義助板碑

二天門

二天門

2019年4/27~6/16まで群馬県立歴史博物館で開催中の「大新田氏展」に、この二天門に安置された二天像は貸し出されていたため代わりのパネルが置いてありました。

本来は高さ約120㎝程の寄木造の持国天像と増長天像が安置されています。

新田触不動(にったふれふどう)

不動堂

不動堂内には2体の不動明王が納められているそうです。その一つは新田義貞の鎌倉攻めの際、山伏に化身して越後方面の新田一族に一夜にして触れ回ったと伝えられ、「新田触不動」として知られています。

ガラス戸からのぞき込んでみても薄暗くてわからず、あとで1寸8分(約5.5㎝)の白銀製と知って、そのサイズなら見えないわけだと納得しました。

もう一体は新田義貞が軍勢指揮をしている姿を刻ませたはずが、一夜のうちに不動明王に変じてしまったとされ、「御影不動明王」と呼ばれているそうです。

他にも堂内には薬師如来像なども安置されているそうです。

後醍醐天皇綸旨と書かれた石碑
石碑裏

不動堂前に建立された太平記での討幕の綸旨を刻んだ石碑。

書き起こすと

後醍醐帝綸旨

被綸言称 敷化理萬國者明君徳也 撥乱鎮四海者武臣節也 頃年之際 高時法師一類 蔑如朝憲恣振逆威 積悪之至 天誅巳顕焉 爰為休累年之宸襟 将起一挙之義兵 叡感尤深抽賞何浅 早運関東征罰策 可致天下静謐之功 者綸旨如此 仍執達如件

元弘三年二月十一日 左少将
新田小太郎殿

石碑の裏書を見ると鎌倉攻六百五十年記念に建立したようです。昭和58年5月22日に建立しているようですが、5月22日といえば鎌倉で北条高時以下870余人が自害した日。あえてその日を選んだのでしょうが、鎮魂を大事にするお寺で見るには「鎌倉攻記念」とかちょっとどうかな、と感じる石碑でした。戦後は南朝顕彰フィーバーも縁遠いものだと思っていましたが、意外とそういった感性はまだまだ根強かったのでしょうか。太平記での鎌倉攻めは見せ場のひとつでもあるのですが、とても凄惨に描かれています。

太平記巻第十 高時並一門以下於東勝寺自害事

総じて其門葉たる人二百八十三人、我先にと腹切て、屋形に火を懸たれば、猛炎昌に燃上り、黒煙天を掠たり。庭上・門前に並居たりける兵共是を見て、或は自腹掻切て炎の中へ飛入もあり、或は父子兄弟差違へ重り臥もあり。血は流て大地に溢れ、漫々として洪河の如くなれば、尸は行路に横て累々たる郊原の如し。死骸は焼て見へね共、後に名字を尋ぬれば、此一所にて死する者、総て八百七十余人也。此外門葉・恩顧の者、僧俗・男女を不云、聞伝々々泉下に恩を報る人、世上に促悲を者、遠国の事はいざ不知、鎌倉中を考るに、総て六千余人也。嗚呼此日何なる日ぞや。元弘三年五月二十二日と申に、平家九代の繁昌一時に滅亡して、源氏多年の蟄懐一朝に開る事を得たり。

ちなみに太平記中で後醍醐天皇の綸旨が新田義貞に与えられる場面はありません。上の石碑では後醍醐帝綸旨としていますが、太平記中ではこれは護良親王の令旨です。ただし令旨ではなく綸旨として作中でも扱われています。

太平記巻第七 新田義貞綸旨賜事

上野国住人新田小太郎義貞と申は、(~中略~)或時執事船田入道義昌を近づけて宣ひける、「(~中略~)如何して大塔宮の令旨を給て、此素懐を可達。」と問給ければ、舟田入道畏て、「大塔宮は此辺の山中に忍て御座候なれば、義昌方便を廻して、急で令旨を申出し候べし。」と、事安げに領掌申て、己が役所へぞ帰ける。(~中略~)今や今やと相待処に、一日有て令旨を捧て来れり。開て是を見に、令旨にはあらで、綸旨の文章に書れたり。

大塔宮とは護良親王のことで、この後に上の石碑の文が続きます。

この頃の護良親王令旨と義貞の関係については山本隆志『新田義貞 』(ミネルヴァ書房、2005年)に詳しいのでお勧めです。

 

また明王院を含む新田荘遺跡については 峰岸純夫 『太平記の里新田・足利を歩く 歴史の旅』(吉川弘文館、2011年)が詳細に解説しているのでガイドブックとして頼りになります。

 

南北朝時代,史跡

Posted by sata04