銅像

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西住小次郎   日本軍が「軍神」指定した最初の人物

日中戦争徐州会戦で戦死し、「昭和の軍神」と称えられた西住小次郎陸軍中尉(死後特進、大尉)を顕彰する銅像が生家のあった熊本県上益城郡甲佐町仁田子地区に建てられています。

顕彰 ...

博物館,特別展,銅像

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玉名市立歴史博物館こころピアといだてん大河ドラマ館に行ってきました。

今年の大河ドラマ、視聴率が低いので有名になってしまいましたが私は大好きで毎週楽しみに見ています。そこで熊本に行くならぜひ関連施設に行きたいと思っていまし ...

史跡,古代

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志賀海神社 海神の総本社

綿津見三神(中津綿津見神、底津綿津見神、上津綿津見神)を祀り、全国の綿津見神社、海神社の総本社とされています。また古代の有力氏族阿曇氏の発祥の地と考えられ、代々祭祀を司ったそうです。

鳥居階段楼門と石橋社 ...

史跡,古代

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金印公園 金印が発見されたと伝わる場所

金印公園は「漢委奴國王」金印が出土したのを記念して昭和50年(1975)に開園しました。

この場所は天明4年(1784)、志賀島の農民甚兵衛が「漢委奴國王」金印を発見したと伝えられてい ...

史跡,鎌倉時代

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蒙古塚(蒙古軍供養塔)元寇古戦場跡

文永11年(1274)、世にいう文永の役(第一次元寇)によって壱岐・対馬・博多が攻められた際、志賀島に元軍の舟が座礁し、投降した兵を生け捕りにして首を刎ねました。その数120と伝わっています。 ...

史跡,南北朝時代

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明王院 安養寺館跡に建立

明王院は中世、近世においては安養寺という寺院があった場所です。安養寺とは新田義貞の法号でもあり、もとは義貞の館であった可能性が高いとされています。

義貞の死後、足利尊氏が新田岩松頼宥に「木崎村安養寺 ...

史跡,南北朝時代

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二体地蔵塚

1333(元弘3)年、鎌倉幕府は河内で挙兵した楠木正成鎮圧のため大軍を動員していました。その軍費を賄うため、臨時課税の「有徳銭」の徴収に踏み切りました。世良田には黒沼彦四郎入道と紀出雲介親連が徴収に訪れましたが、新田義貞は二 ...

史跡,南北朝時代

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千寿王(義詮)が挙兵した場所かもしれない神社鳥居由緒1333(元弘3)年、足利尊氏が後醍醐天皇を討つため鎌倉を発った時、人質として鎌倉に留められていた息子の千寿王(のちの2代将軍足利義詮、当時3歳)は脱出しました。 その後家臣の紀五左衛門尉 ...

史跡,南北朝時代,銅像

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再建された新田義貞銅像

新田義貞が挙兵したとして知られる生品神社境内の銅像が、2010年に盗難被害に遭いました。その後2012年に生品神社の駐車場に新しく銅像が建立されました。盗難防止のためのライトアップも行われているそうです。 ...

史跡,南北朝時代

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生品神社 新田義貞挙兵の地

生品神社は新田義貞挙兵の地として知られています。

「太平記」では元弘3年(1333)5月8日に生品神社で挙兵し笠懸野に出陣したとされます。
”同五月八日の卯刻に、生品明神の御前にて旗を挙、 ...