新田義貞銅像(群馬県太田市生品神社)

新田義貞が挙兵したとして知られる生品神社境内の銅像が、2010年に盗難被害に遭いました。その後2012年に生品神社の駐車場に新しく銅像が建立されました。盗難防止のためのライトアップも行われているそうです。 ...
生品神社(群馬県太田市)

生品神社は新田義貞挙兵の地として知られています。
「太平記」では元弘3年(1333)5月8日に生品神社で挙兵し笠懸野に出陣したとされます。
”同五月八日の卯刻に、生品明神の御前にて旗を挙、 ...
青龍山 吉祥寺(群馬県利根郡)

鎌倉建長寺を本山とする臨済宗の禅寺。暦応2年(1339)創建。
山門「青龍山」の勅額は後光厳天皇の筆による表には「青龍山」、裏には文和元年壬辰 後光厳院 喜平上幹 とあるそう。
「青龍山」の勅額山 ...
東寺(教王護国寺) (京都市南区)

1336年5月、湊川の合戦によって足利尊氏に追い詰められた後醍醐天皇は比叡山へと逃れました。その際持明院統の人々も比叡山へと連れていかれましたが光厳院は脱出し、尊氏の入京とともにその本陣となった東寺へ避難しました。
石清水八幡宮(京都府八幡市)

京都府八幡市の男山に位置する石清水八幡宮は、”やわたのはちまんさん”としても親しまれています。また伊勢に次ぐ天皇家第二の宗廟としても崇敬されました。
南北朝から戦国期にかけては京都をうかがう西の拠点として、幾度 ...
尊良親王墓所(京都市左京区)

尊良親王(たかよししんのう/たかながしんのう)は後醍醐天皇の一宮と考えられ、元弘の乱では後醍醐天皇とともに笠置山にて挙兵し元弘2年3月土佐へと流されました。
しかし翌年の元弘3年3月、配流先から肥 ...
持明院 仙洞御所跡(京都市上京区)

もとは藤原北家の邸があり、邸内の持仏堂(安楽光院)に由来して家名は持明院家となり、屋敷も持明院殿とよばれました。邸内の寺院は安楽光院・安楽行院と称されました。
やがてその持明院家藤原基家の娘が高倉天皇の ...
名和長年戦没遺跡(京都市上京区)

現在は名和児童公園として整備されています。
海軍大将有馬良橘の筆 による碑文献花台?に彫られた帆掛け船の家紋太政大臣公爵三条実美の筆による碑文大日本国防婦人会が奉納していた謎のモニュメント名 ...
御所八幡宮(京都市中京区)

”御所”八幡宮の由来は、足利尊氏の邸内に勧請されたことからだそうです。
しかしもともとは尊氏弟の足利直義の邸宅「三条坊門殿」があったとされています。
尊氏から政務を委任さ
足利尊氏邸跡(京都市中京区)

ちょうどアジサイの季節だったのでとても華やか。
解説板室町幕府発祥の地
ー足利尊氏邸・等持寺跡ー
京都府保健事業協同組合・保事