八坂神社(群馬県太田市)
千寿王(義詮)が挙兵した場所かもしれない神社


1333(元弘3)年、足利尊氏が後醍醐天皇を討つため鎌倉を発った時、人質として鎌倉に留められていた息子の千寿王(のちの2代将軍足利義詮、当時3歳)は脱出しました。
その後家臣の紀五左衛門尉(政綱)や新田一族の世良田義政に擁立されて蜂起し、先に蜂起していた新田義貞軍と合流します。
峯岸純夫先生は、この千寿王による蜂起はここ世良田宿北の八坂神社(天王社)ではないかと推定しています。
理由としては『後鑑』に「常陸国鳥巣無量寿寺文書」として収載された文書に、鹿島利氏が5月12日に上野国世良田に馳参し、「将軍家若君の御方」(千寿王)の陣に加わり、新田一族世良田満義の軍団に配属されたとあることから、世良田に陣を置いていたのが確認できること。そこから適所を求めるとここ世良田宿北の八坂神社(天王社)ではないか、とのことです。


雑記
こちらの神社、御朱印でとても有名だそうです。私が行った時は他の参拝客はいなかったのですが、駐車場に観光バス専用エリアがあり、御朱印バスツアーの行き先としても人気だそうです。御朱印はカラフルで可愛いそうで、時期によって絵柄が変更されるそうです。
またもともとこちらの神社にあったという狛犬が新田荘歴史資料館(群馬県太田市)で展示されていましたが、そちらの狛犬も今まで見てきた狛犬の中で一番といっていいほど愛らしく生き生きとした狛犬でした。そのままマスコットにできそうなキャラクター性を感じました。
おすすめの一冊
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世良田八坂神社が千寿王挙兵の地ではないか?と書かれている本。 太平記の世界を新田荘・足利荘を中心に散歩案内をしてくれるガイドブック。地図や写真、解説が豊富なので現地に持っていくととても頼もしかったです。 |