愛宕神社(茨城県笠間市)

日本三大火防神社のひとつ

創建は大同元(806)年。

火の神を祀ることから日本三大火防神社のひとつとして信仰されているそうです。

ほかの2つを調べてみたところよくわからず、笠間市の公式Facebookでは静岡の秋葉神社、京都の愛宕神社と紹介されていました。

鳥居、西参道の階段

鳥居
鳥居
女人禁制の石碑

階段横に「従是女人禁制」と刻んである石碑がありました。修験道の山だった名残を感じました。

日本全国の女人禁制を掲げていた寺社仏閣の多くは、明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」により解除したそうです。

愛宕神社 拝殿

奥社 飯綱神社

案内板

この石段を登り詰めた処に愛宕神社の奥社、飯綱神社が有り御祭神の手力雄命が鎮座する。其の奥の御奉殿は菊花紋を付けた青銅造の六角堂で夷針神社が祀られている。台座は自然石の美事な亀甲形で芸術的魅力を感じる。西に松尾神社、芭蕉の句碑があり一ツ葉の自生も見られる。東には水の神、龍神社が祀られ巴川の水源が泉地名の起源と思われる。北は愛宕山を守護し神徳の発揚に寄与した十三天狗の祠が有り関東の奇祭として悪態祭は広く知られる。

案内板より

飯綱神社拝殿

六角堂と十三天狗の祠

六角堂と十三天狗の祠

案内板によると六角堂は夷針神社を祀っているそうです。

岩間山の十三天狗

平田篤胤が記した「仙境異聞」は、天狗に連れられ修行したという少年寅吉に取材したものですが、この寅吉が修行したのが岩間山でした。

岩間山は筑波山から北の方に四里ほど、峰に愛宕の宮があります。岩間山に十三天狗、筑波山に三十六天狗、加波山に四十八天狗、日光山には数万の天狗がいると寅吉は語ったそうです。

寅吉の師である天狗は岩間十三天狗のひとりで、名は杉山組正(すぎやまそうしょう)、杉山組正ワケモチの命と呼ばれていたそうです。

民俗学者の谷川健一氏が岩間山を探してみたいと思い立って茨城県の岩間に来たとき、地図には岩間山の名前がなく愛宕山の名前があることからタクシーで頂上に登ると、愛宕神社の由来が刻まれた石碑がありました。

そこにはもともとこの山には十二人の天狗がいたが、狢内(むじな)の長楽寺の僧がひとり他の天狗にたぶらかされて迷い込んできたので十三人となったとあったそうです。

そこで谷川氏は今度は長楽寺を見たいと狢内地区まで行くと、すでに廃寺になっていたそうです。谷川氏が聞いた話だと、この近くの峠でまだ小坊主だった長楽寺の僧が夕方釈迦に化けた愛宕(岩間山)の天狗にたぶらかされたそうです。

参考

仙境異聞・勝五郎再生記聞 (岩波文庫) 平田篤胤

仙境異聞は7歳のときに天狗に連れ去られた少年寅吉と、平田篤胤ら江戸の知識人たちの問答の様子が描かれています。

勝五郎再生記聞は前世を覚えているという少年勝五郎のお話です。

魔の系譜 講談社学術文庫 谷川健一

本書の「再生と転生」の中で日本での再生や転生の考えがどう受け入れられていたのか、主に平田篤胤が惹かれた様々な再生転生譚をもとに、物語と篤胤の関わりなどから解き明かしていきます。他にも小泉八雲、夢野久作、柳田国男といった人々の転生や再生の観念についても分析していました。

駐車場からの展望

史跡,江戸時代

Posted by sata04