東漸寺(千葉県松戸市)

東漸寺(とうぜんじ)

創建は文明13年(1481)。経誉愚底上人によって、根木内に開かれたのが始まりとされています。

戦国時代に高城氏とつながりを深め、天文6年(1537)に小金大谷口城が完成すると東漸寺も現在地の小金に移されました。小金城の出城としての機能を持っていたとも言われています。

慶長7年(1602)には浄土宗関東十八檀林のひとつに指定されました。

参道

参道

総門

総門

仁王門

仁王門

文化元年(1804)に楼門造りの門で再建され、昭和52年(1977)に営繕。

昭和62年(1987)、東京芸術大学名誉教授西村公朝の監修、京都の仏師佐川定慶の作となる仁王像が信徒により寄進されたそうです。

扁額

扁額は明の何倩甫の筆によるもので「仏法山」と書かれているそうです。

中雀門

中雀門

鐘楼

鐘楼

竹内兄弟の碑

竹内兄弟の碑

小金出身の竹内廉之助・哲次郎兄弟は元治元年(1864)の水戸天狗党の筑波山挙兵に参加し、同年9月に弟哲次郎は戦死。兄廉之助はのちに赤報隊に参加し、慶応4年(1868)2月に戦死しました。

この石碑は交友があった渋沢栄一が銘を記し、明治45年(1912)年2月に建立されたもの。渋沢栄一は除幕式にも参加しています。

観音堂

観音堂

平成8年(1996)に再建。総檜造り。

本堂

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本堂

江戸時代初期に関東十八檀林に指定されましたが、「檀林」とは学問所の意味で、当時は寺域内に学寮が8棟もあり、江戸後期には支配下の寺や庵・堂宇は武蔵・下総両国内で44ケ所にも及ぶ大寺院になっていたそうです。

第七世照誉了学上人

小金城主高城胤吉の三男胤知は、出家して東漸寺に入り第七世照誉了学上人になりました。本多忠勝、土井利勝などの徳川家重臣が帰依し、その縁から徳川家康も了学上人を駿府に招いて授戒の師にしたそうです。

了学上人は寛永9年(1632)に関東十八檀林筆頭・徳川氏の菩提寺となった増上寺の第十七世住職となり、二代将軍秀忠の葬儀では大導師を勤めました。

史跡,戦国時代,江戸時代

Posted by sata04