法雲寺(茨城県土浦市)

小田氏の菩提寺

小田氏の菩提寺である法雲寺は小田治久の招きで復庵宗己が文和3(1354)年に開山した禅寺です。

小田氏は15代370年ほど土浦やつくばを含めた常陸南部を支配し、南北朝時代の7代小田治久は北畠親房を小田城に迎え小田城で北畠親房は「神皇正統記」を著しました。

復庵宗己は5代小田宗知の子で、治久の養子になったとされています。

復庵宗己は延慶3(1310)年に元へと渡り中峰明本に師事、嘉暦元(1326)年帰国後しばらく遊行したのち正慶元年・元弘2(1332)年小田城から南東に1里(4km)ほどの高岡に楊阜庵を開きました。

師中峰明本の13回忌にあたる建武2(1335)年に正受庵と名を改め、文和3(1354)年には大雄山法雲寺と改称しました。

山門

方丈

正受庵

小田天庵供養塔

小田天庵供養塔

小田氏最後の当主15代小田氏治の供養塔。

江戸時代には氏治の子孫たちが盛んに常陸を来訪し、小田氏関連の寺社や家臣の末裔などと交流を持ったそうです。この供養塔もその頃に造立されたもの。

法雲塔院

石造五輪塔、宝篋印塔

左側2基の石造五輪塔は左は11代朝久、右は14代政治の供養塔と伝えられているそうです。

その隣の3基の宝篋印塔は、伝承では10代持家、13代治孝とその連枝の供養塔と言われているそうです。

参考

第32回特別展「戦国武将小田氏と法雲寺」展示図録 2011年 土浦市博物館

南北朝時代,史跡

Posted by sata04