東京国立近代美術館「安田靫彦展」

東京国立近代美術館で開催されている「安田靫彦展」を見てきました。

国語の便覧などに載っていたので、安田靫彦という名前は知らなくても、絵を見たことはあるという人は多いと思います。

展示は制作年代ごとに、全部で4章に分けられていました。

第1章「歴史画に時代性をあたえ、更に近代感覚を盛ることは難事である」

第2章「えらい前人の仕事には、芸術の生命を支配する法則が示されている」

第3章「昭和聖代を表象するに足るべき芸術を培ふ事を忘れてはならない」

第4章「品位は芸術の生命である」

第1章では、安田が15歳の時の作品から、37歳の作品が紹介されていました。
まず目に飛び込んできたのは、安田が15、16歳の時に描いた作品。
どれもそんな少年が描いたとは思えない見事な絵でした。
なかでも「遣唐使」が、情感にあふれていて印象に残りました。

第2章では安田が40歳~55歳の作品。
「豊公裂冊」という作品、遠くから見ても「秀吉」とわかりました。この後も何作か秀吉を題材にした作品があったのですが、安田さん気に入りの歴史人物だったのでしょうか。

第3章では安田56歳~61歳。
この頃、1940年~1945年というまさに戦時下なので、題材も「小楠公」や「神武天皇日向御新発」など、当時望まれていただろう題材なのがわかります。
海軍省から依頼を受けて書いたという「山本五十六元帥像」もありました。
そしてその中に今回私の目当てだった「黄瀬川陣」がありました。

今回のリーフレットにも使用されていたのですが、この頼朝像、どこかで見覚えがありませんか?
そう、向きは逆ですが、神護寺の「伝源頼朝像」に似ています。

この「黄瀬川陣」は、吾妻鏡から主題を得て、鎧兜や装束、武具の考証も凝らし、当時から畢竟の名作として評判になったそうです。
当然神護寺の「伝源頼朝像」も参考にしたのだと思います。

第1章の秀吉を描いたものも、「秀吉」とわかる顔をしていました。なぜ大正時代の絵なのに現代人のイメージする「秀吉」像と同じなのか不思議でしたが、この「頼朝」のようにいつの時代からか同じイメージが再生産されているのだと思いました。それって面白いですね。


特に頼朝に関しては、頼朝として足利直義が再生産されてきたと思うと、直義ファンとしてなんだかとても変な気分になります。頼朝として再生産される直義・・・。
もっとも頼朝であっても直義であっても、描かれたモデルが気品のあるイケメンであるという事実は微塵も揺らがないと強く主張しておきます。
この「黄瀬川陣」の頼朝も、張り詰めた空気の中義経と見つめあうその姿はただ美しい。
部屋に飾りたいと思いましたが、考えることはみんな同じなのか、とっくの昔に大政翼賛会国民指導部のポスターに利用されていたそうです。

第4章は戦後、安田62歳~91歳の作品。
第3章の絵と違い、主題も様々、華やかな絵が多くなります。
ここに私が安田靫彦を初めて知った「飛鳥の春の額田王」が展示されていました。
華やかで春の陽気さが伝わってくる絵です。
この絵、国語便覧に載っていたような記憶がうっすらあります。
他にもTVで卑弥呼特集の時などによく使用される「卑弥呼」もありました。

美術が好きな人も歴史が好きな人も楽しめる特別展でした。
5月15日(日)まで東京国立近代美術館で展示が行われていま

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Posted by sata04