浄光明寺(神奈川県鎌倉市)

足利尊氏の決起を見守った寺

開基は北条時頼と極楽寺流北条長時。開山は真聖国師真阿。開創は建長3年(1251)。

鎌倉幕府滅亡後の元弘3年(1333年)12月、足利直義と共に鎌倉に下向した成良親王は当寺を御祈願所に指定。

建武2年(1335年)12月、足利尊氏は後醍醐天皇との決別をためらい、直義に政務を譲って当寺に引きこもってしまいましたが、直義の窮地に出陣。ついに決起することになりました。

足利直義の守り本尊 矢拾地蔵

浄光明寺は足利ファン、いえ直義ファンとしてぜひ拝みたいお地蔵様がいます。
その名も矢拾地蔵やひろいじぞう
足利直義の守り本尊と伝えられています。

ある合戦で直義が背の矢24本を射尽くしてしまったとき、一人の小僧が落ちている矢を差し出しました。合戦終了後にこの地蔵を見ると、地蔵が矢を握っていたので例の小僧がこの地蔵だったと判るという伝説から矢拾地蔵と呼ばれるようになったそうです。

現在は県指定の重要文化財になっています。

土日は収蔵庫は公開されているとは聞いていましたが、今日も公開されていてホッとしました。矢拾地蔵は阿弥陀三尊像の左側に安置してありました。
もともとは直義が護良親王の鎮魂のために建てた慈恩院の本尊だったと伝えられているそうです。

しかしこの矢拾地蔵の伝承を長らく知らなかったのですが、一体どこで語り継がれている話なのか、やっぱりお寺なのかな~?と思っていました。
幸いなことにお寺の方に詳しくお話を伺うことが出来ました。

中先代の乱の際、直義は武蔵の井出沢で破れ、東海道を西走しました。
直義は三河で陣を構え、尊氏に救援を要請します。
しかし後醍醐天皇はこれを許さなかったので、尊氏は後醍醐天皇の許可の無いまま関東に下り、北条軍を壊滅させ鎌倉を奪還します。

後醍醐天皇は尊氏にすぐに京に帰還するように命じますが、直義が留め、鎌倉に新邸を造ってそこに住みます。
これに怒った後醍醐天皇が尊氏追討のために新田義貞を差し向けると、尊氏はこの浄光明寺にこもってしまったと伝えられています。

尊氏が浄光明寺にこもってしまったので、当然直義が迎撃しますが、敗走し、苦境に立たされます。直義の身が危ないと聞いて、ようやく尊氏も出陣し、新田軍を撃破します。

お寺の方によると、これらの戦いのなかで矢拾地蔵が出現したと伝わっているそうです。
どの軍場かまではわからないようです。

しかしこのお寺の方が凄いのは、この矢拾地蔵、実は製作年はこの中先代の乱より50年ほど古いようです、とそこまで教えて下さいました。
だからもともとあるお地蔵様に基づいてお話が作られたのではないかと。

信仰上の伝承と、歴史学からの検証が違う場合、その違いを教えてくれるお寺は珍しい気がします。

さらに同じ収蔵庫内にある阿弥陀三尊像の製作年や特徴など、図録や鎌倉末期の古地図のコピーも持ちだして説明して下さいました。

お寺でここまで詳しく説明してもらったのは初めてで感激してしまいました。

奈良国立博物館「特別展 武家のみやこ 鎌倉の仏像 迫真とエキゾチシズム」図録

ちょうどついこの間(平成26年4月5日~6月1日)まで、奈良国立博物館で特別展『 武家のみやこ 鎌倉の仏像 迫真とエキゾチシズム』が行われていたそうです。
阿弥陀三尊像の左脇侍の観音菩薩坐像と矢拾地蔵も出陳されていたそうで、今日見れて本当に良かったです。
なんとその特別展の図録の表紙はこの浄光明寺の観音菩薩坐像でした。

先代の住職さんが大三輪龍彦氏といって、鶴見大学の史学科で教鞭を執っていた歴史学者でもあったそうです。
そういったことからもこのお寺は観光地化するよりも遺跡や遺物の保存に力を入れているそうです。普段は史学科の学生さんがよく訪れているそうです。

赤橋守時の墓。
もともと赤橋流北条家の菩提寺であったため、幕府滅亡後、尊氏の妻で守時の妹である登子の働きかけもあったのか、守時の菩提を弔うことになったそうです。
古地図によると寺の横に守時の邸宅があったようです。

網引地蔵。
由比の漁師の網にかかって海から引き上げられた伝承があるそうです。

網引地蔵の場所から急な階段を上ります。
階段を登り終えると、冷泉為相の墓があります。

冷泉為相の墓

冷泉為相の墓。
十六夜日記で知られる阿仏尼の子供で、冷泉家の開祖。

健治3年(1277)年、阿仏尼が訴訟のため鎌倉に下向すると、直後に息子の冷泉為相も鎌倉に下向し当寺の近くに住んだので「藤ヶ谷ふじがやつ」という地名が起こったそうです。

墓からは鎌倉の市街と海が見え、とても気持ちの良い眺めでした。

浄光明寺のリーフレットに、

「当寺は最後の執権赤橋守時の菩提寺として鎌倉幕府の終焉を見届け、室町幕府誕生のきっかけとなった足利尊氏の決起を見守った寺であり……」

という文があるのですが、あの時代に思いを馳せながら「行ってよかった!」
と思えるお寺でした。

参考

鎌倉散歩24コース  山川出版社

歴史教科書でおなじみの山川出版社の「歴史を旅する」ガイドブック。頼朝好き、北条好き、足利好きといったそれぞれの歴史ファンの要望に応えるような24コースが紹介されています。鎌倉を散策するならぜひともお勧めしたい一冊。矢拾地蔵のこともこの本で知りました。

鎌倉史跡事典コンパクト版 新人物往来社 奥富敬之

鎌倉の史跡について主に吾妻鏡をもとに奥富敬之が執筆。鎌倉時代が重視された史跡辞典。矢拾地蔵伝説の詳細はこちらで知りました。鎌倉への愛がないとここまで執筆できないと実感できる一冊。

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Posted by sata04