史跡,古代

Thumbnail of post image 083

志賀海神社 海神の総本社

綿津見三神(中津綿津見神、底津綿津見神、上津綿津見神)を祀り、全国の綿津見神社、海神社の総本社とされています。また古代の有力氏族阿曇氏の発祥の地と考えられ、代々祭祀を司ったそうです。

鳥居階段楼門と石橋社 ...

史跡,古代

Thumbnail of post image 050

金印公園 金印が発見されたと伝わる場所

金印公園は「漢委奴國王」金印が出土したのを記念して昭和50年(1975)に開園しました。

この場所は天明4年(1784)、志賀島の農民甚兵衛が「漢委奴國王」金印を発見したと伝えられてい ...

史跡,鎌倉時代

Thumbnail of post image 124

蒙古塚(蒙古軍供養塔)元寇古戦場跡

文永11年(1274)、世にいう文永の役(第一次元寇)によって壱岐・対馬・博多が攻められた際、志賀島に元軍の舟が座礁し、投降した兵を生け捕りにして首を刎ねました。その数120と伝わっています。 ...

史跡,南北朝時代

Thumbnail of post image 074

明王院 安養寺館跡に建立

明王院は中世、近世においては安養寺という寺院があった場所です。安養寺とは新田義貞の法号でもあり、もとは義貞の館であった可能性が高いとされています。

義貞の死後、足利尊氏が新田岩松頼宥に「木崎村安養寺 ...

史跡,南北朝時代

Thumbnail of post image 137

二体地蔵塚

1333(元弘3)年、鎌倉幕府は河内で挙兵した楠木正成鎮圧のため大軍を動員していました。その軍費を賄うため、臨時課税の「有徳銭」の徴収に踏み切りました。世良田には黒沼彦四郎入道と紀出雲介親連が徴収に訪れましたが、新田義貞は二 ...

史跡,南北朝時代

Thumbnail of post image 023

千寿王(義詮)が挙兵した場所かもしれない神社鳥居由緒1333(元弘3)年、足利尊氏が後醍醐天皇を討つため鎌倉を発った時、人質として鎌倉に留められていた息子の千寿王(のちの2代将軍足利義詮、当時3歳)は脱出しました。 その後家臣の紀五左衛門尉 ...

史跡,南北朝時代,銅像

Thumbnail of post image 084

再建された新田義貞銅像

新田義貞が挙兵したとして知られる生品神社境内の銅像が、2010年に盗難被害に遭いました。その後2012年に生品神社の駐車場に新しく銅像が建立されました。盗難防止のためのライトアップも行われているそうです。 ...

史跡,南北朝時代

Thumbnail of post image 165

生品神社 新田義貞挙兵の地

生品神社は新田義貞挙兵の地として知られています。

「太平記」では元弘3年(1333)5月8日に生品神社で挙兵し笠懸野に出陣したとされます。
”同五月八日の卯刻に、生品明神の御前にて旗を挙、 ...

史跡,南北朝時代

Thumbnail of post image 068

青龍山 吉祥寺

鎌倉建長寺を本山とする臨済宗の禅寺。暦応2年(1339)創建。

山門「青龍山」の勅額は後光厳天皇の筆による

表には「青龍山」、裏には文和元年壬辰 後光厳院 喜平上幹 とあるそう。

「青龍山」の勅額

山 ...

史跡,南北朝時代

Thumbnail of post image 090

東寺(教王護国寺)

1336年5月、湊川の合戦によって足利尊氏に追い詰められた後醍醐天皇は比叡山へと逃れました。その際持明院統の人々も比叡山へと連れていかれましたが光厳院は脱出し、尊氏の入京とともにその本陣となった東寺へ避難しました。