大宝八幡宮(大宝城跡)(茨城県下妻市)
大宝八幡宮は大宝元年(701)に創建された関東最古の八幡宮。
かつては大宝城という小山氏の一族である下妻氏の居城があり、南北朝内乱期には後醍醐天皇皇子の興良親王や春日顕国が身を寄せ南朝方の城として戦場になりました。
大宝城跡

一ノ鳥居

随神門

門の中には和傘が釣ってありました。

拝殿

本殿

祖霊殿

下妻政泰公忠死之地碑


石碑文書き起こし
贈正四位下妻政泰公碑
贈正四位下妻政泰公碑 海軍大将二位勲一等功五級 有馬良橘題額
関東ニ名山アリ筑波ト曰フ山麓昔時大水ヲ湛フ因リテ大寳沼、稱ス沼ニ臨ンテ古城アリ
下妻政泰公ノ攄リテ以テ大義を伸ヘシ處ナリ建武延元ノ際凶賊四方ニ起リ中興ノ業敗ル
ルヤ公ハ率先奮起シ北畠准后ニ慶シテ義旗ヲ翻シタントモ戦利アラス准后小田ヲ去リテ
闘ニ移ルニ及ヒ公ハ竹園ノ尊貴ヲ奉シテ大寶ノ城ヲ守リ苦戦數歳興國四年十一月十二日
力盡キテ城陥ルヤ従容大節二殉シタリ嗚呼大寶ノ沼往年碧波漫ミタタシモノ今ハ千頃ノ
美田ト化シ風景二古今ノ變アリト雖モ公カ精忠ハ炳然青史二載セテ千古二朽チス今茲公
ノ殉節後六百年二當リ郷人追慕二堪へス祭典ヲ修シ英風ヲ彰ハサント欲シ来リテ碑文ヲ
予二嘱ス予ヤ不文ト雖モ夙二公ノ忠節二感激シ遺蹟ヲ訪フモノ既二二十餘回郷人ト相識
ルコト尤モ深シ誼辭スヘカラス況ヤ方今米英ノ大敵二當、日夜劇戦苛烈ヲ極ムシノ時古
ヘ忠義ノ程ヲ我等ノ胸裏二復活スルコト尤モ急務ナルニ於テヲヤ乃チ歌ッテ曰ク
大君二捧けしまこと朽つへしや大寶の沼水涸るるとも
その誠うけつきゆかむ海の外醜の夷等うち破るへく
昭和十八年十一月東京帝国大學教授従四位勲三等文學博士 平泉澄撰
東京商科大學講師 西脇静書
明治44年(1911)に起こった南北朝正閏論争以後、正統とされた南朝の忠臣の顕彰が各地で起こり、戦前はその忠臣の生き方が思想教育としても利用されたと言われますが、この石碑は建立年から石碑文までまさにそのお手本のようです。
しかし南朝の忠臣の顕彰碑でここまであからさまに敵として米英の名前が書いてあるのははじめてみました。他にも存在しているとは思いますが。
況ヤ方今米英ノ大敵二當、日夜劇戦苛烈ヲ極ムシノ時古ヘ忠義ノ程ヲ我等ノ胸裏二復活スルコト尤モ急務ナル
内容は平泉澄によるものだったのでこれがあの皇国史観で有名な平泉澄……、となんだか納得しました。地方の南朝顕彰にも積極的に関わっていたのでしょうか。南北朝好きとして名前はよく聞きますが著作も関係書籍も読んだことがないのでそのうち読んでみたいです。
あじさい神苑
大宝城跡の土塁保全のためにあじさいを植えたのがはじまりだそうです。
今では300種4000株を超えるあじさいが咲いているそうです。