願成就院
吾妻鏡によると、北条時政が頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝祈願のために建立したお寺。


北条氏の氏寺として時政から義時、泰時の3代にわたって大いに栄え、当時は奥州平泉の毛越寺を模した伽藍構成。

庭も守山を借景とし、中之島のある大きな池を有する浄土式庭園だったそう。 今のお庭はそんなに大きくはないもののよく手入れされていて可愛い感じでした。

大御堂にはボランティアの人がいて寺宝やお庭について色々と説明してくれました。
大御堂には阿弥陀如来坐像、毘沙門天像、不動明王・矜羯羅童子・制吒迦童子三尊立像が安置され、胎内に納められていた五輪塔形木札によって、北条時政によって運慶が作った仏像だと判明したそうです。すべて国宝として指定されています。
大御堂の向こうに宝物館があり、そちらには北条政子地蔵と呼ばれる地蔵菩薩坐像と北条時政公肖像、像の胎内にあった五輪塔形木札などが展示してありました。

現在の本堂は1789年(寛政元年)に建立

鎌倉幕府の初代執権ですが、北条政子の父といった方が有名かもしれません。

堀越公方 足利茶々丸は北条早雲の伊豆侵攻によりこの願成就院で自刃したと言われているそうです。
しかし近年の研究ではここでは自刃せず、その後も活動しているのが明らかになったそうです。

大量の瓦が出土し、また二段の石組み基壇が明らかになったことから南塔の基壇跡と考えられているそうです。