中国同盟会発祥の地 石碑(東京都港区)
中国同盟会発祥の地 石碑
明治38年(1905)7月に孫文が来日すると、興中会、華興会や光復会のメンバーと革命派の連合について協議し、8月20日に代議士の坂本金弥宅で孫文を総理とする中国同盟会が成立しました。
11月には、中国同盟会の機関紙として東京で『民報』が刊行され、創刊号に孫文の三民主義(民族、民権、民生)が掲載されました。
長らくこの「坂本金弥宅」というのが東京市赤坂区霊南坂だったり、赤坂区霞関であったりと場所がはっきりとしなかったそうですが、内田良平(1874~1937年)の自伝に「坂本金弥が赤坂区霊南坂なる大倉邸内に借家せる居宅」と記されていたことで当時の大倉邸の敷地内の洋館、現在のホテルオークラの敷地内だったと判明したそうです。
ホテルオークラ東京は4年に渡る本館建て替え工事をおこなっていましたが、営業再開した令和1年(2019)に本館「The Okura Tokyo」の前に「中国同盟会発祥の地」の記念碑も建てられました。


1905年8月20日大倉喜八郎邸すなわち此地、現ホテルオークラにおいて、孫文を総理とする中国同盟会が結成された。その後、中国同盟会が母体となった辛亥革命により、1912年、アジア史上初の共和国家、中華民国が誕生した。その意義を称え、同時に末永い日中友好を期して記念碑を建立する。
説明版より
一九零五年八月二十日,中國同盟會以孫中山為總理在此地、即存在於大倉東京飯店原址的大倉喜八郎的私宅宣告成立。其後、由中國同盟會發起的辛亥革命在中國成功、於是中華民國做為亞洲歴史上第一個共和國家誕生了。為留下紀念、並祝願日中兩國世世代代友好、特立此碑。