達磨寺(群馬県高崎市)
縁起だるま発祥の寺

元禄10年(1697)水戸光圀が帰依した東皐心越禅師によって少林山達磨寺開山。享保11年(1726)水戸徳川家の祈願所になりました。当時は曹洞宗、のちに隠元禅師を中興開山に仰ぎ黄檗宗に。
天明3年(1783)の大飢饉の折、9代目の住職東嶽和尚が、農民たちの副業になるようにと開山心越禅師の描いた「一筆達磨坐禅像」をもとに木型を彫り、張り子のだるまの作り方を豊岡村の人々に伝授。その後正月七草大祭の縁日に売られるようになったのが縁起だるまの始まりです。
現在はだるま信仰の一大拠点となり、全国の8割のだるまはこの達磨寺のある高崎市で生産されているそうです。
本堂(霊符堂)

明治44年再建。けやきの権現造り。
本堂(霊符堂)では北極星と北斗七星を神格化した北辰鎮宅霊符尊(妙見菩薩)と初祖達磨大師・開山の心越禅師が祀られています。通常南向きや東向きが多いお堂ですが、達磨寺のお堂は北極星のある北を向いて建てられています。



本堂に積まれただるまはお焚き上げ供養を待っているそうです。
観音堂

少林山達磨寺最古のお堂。
開山の頃には「無尽法蔵」という一切経を収める経蔵で、9代東嶽和尚の時には北辰鎮宅霊符尊を祀る霊符堂(本堂)に、明治末期に新たな本堂が完成すると霊符尊は遷座し、現在の十一面観世音菩薩を祀る観音堂になりました。

招福の鐘

年末だからか、橦木の縄をちょうど掛けかえているところに遭遇しました。こちらの鐘は誰でも撞くことができるそうです。
雑記
だるまのお寺というふわっとした認識しかなかったので、いざ訪れると黄檗宗、さらには北辰信仰と予想外の驚きでした。そして圧倒的な存在感のだるま達。

まず高崎駅で大きなだるまを見たときさすがだるまのまち、と期待度が跳ね上がりました。そのまま期待に応えてくれるお寺でした。