フォート・カニング公園(シンガポール)

シンガポール国立博物館に行ったら「禁じられた丘」と呼ばれる土地の存在を知りました。

古代シンガプーラ王の宮殿があったとされ、さらには近代は歴代シンガポール総督が住んでいた丘だそうで、現在はフォート・カニング公園として整備されているそうです。

気になったので行ってきました。

フォート・カニング公園 看板

フォート・カニングホテル

イギリス極東軍司令部だった説明
フォート・カニングホテル

現在のフォート・カニングホテルはかつてのイギリス軍政庁を改修したものだそうです。

1926年にイギリス極東軍事司令部の管理棟として建てられ、総司令官パーシヴァルはこの建物内に執務室を構えました。

1942〜1945年は日本軍に占領され、戦後イギリス軍が取り戻しイギリス軍政の一部として利用。

1965年のシンガポール独立後はシンガポール国軍に接収。

1970年〜1976年にはシンガポール指揮幕僚大学 (SCSC)が使用しました。その後SCSCの移転により、1995年まで空き家。

2002年に現在の所有者が敷地を引き継ぎ、2011年には建物を改修して現在の「フォート・カニングホテル」としてオープンしたそうです。

バトルボックス(The Battle Box)

バトルボックスのチケット売り場

The Battle Box(バトルボックス)という極東地下司令センターだった場所が、現在博物館として営業されているそうですが、私が行ったときはチケット売り場が閉まっていました。

google mapだと閉業と出ていますが一時的なものかどうか不明です。まだウェブサイトはあります。こちら→ THE BATTLE BOX

バトルボックスの中は当時の地下壕が再現され、蝋人形なども置かれているそうです。

出撃路(Sally port)

砦から内外へ出られる小さな隠し扉で、フォート・カニングには3つありましたが現在はこの一つだけが残っているそうです。

実際中の扉が通れるようなので行ってみました。階段を昇り上がると広場のようなところに出ました。

バトルボックス脱出シャフト(Battle Box Escape Shaft)

Battle Box Escape Shaft
Battle Box Escape Shaft

この建物はバトルボックスとして知られる極東地下司令センターからの脱出シャフトです。ドアの後ろにハシゴがあり、地下壕へ下って行くそうです。

戦時中は敵から身を隠すために建物自体がカモフラージュされていたと考えられているそうです。

旧火薬庫(OLD GUNPOWDER MAGAZINE)

この場所の地面の下には火薬の貯蔵庫である旧火薬庫の基礎があります。

長さは約30メートル、幅は約10メートル。

フォート・カニングから大砲が撤去されたとき、この火薬庫は射撃練習用の射撃場に転用されました。

このエリアは以前は既婚将校とその家族の居住地としても使用されており、かつては軍事病院も近くにありました。

旧既婚兵士宿舎(OMSQ:Old Married Soldiers Quarters)


旧既婚兵士宿舎は、イギリス陸軍将校の宿泊施設として1926年頃に建設されました。

この建物は1920年代に近くの軍本部複合施設の一部としてこの丘に建てられたいくつかの建物のうちの一つです。

他の建物には警備室や准尉の宿舎が含まれていましたが、現在まで残っているのはOMSQだけです。

現在、OMSQは小規模なコンサート、結婚式、その他のイベントなどに人気の会場だそうです。

フォートゲート(Fort Gate)

Fort Gate
Fort Gate
Fort Gate 砦側
Fort Gate 砦側

この建物は、フォートゲートといって、1860年にイギリス人が完成させた砦の入り口です。

この砦は当時のインド総督チャールズ・ジョン・カニングにちなんで「フォート・カニング」と名付けられました。建設は1859年3月に始まり、500人以上の労力がかかりました。

フォート・カニングはシンガポールを海上攻撃から守るために建設されました。

2番目の目的は、地域で暴動が発生した場合に、シンガポールのヨーロッパ人に避難場所を提供することでした。

フォート・カニングには当初周囲に城壁と堀がありました。城壁は低く厚く、砲撃に耐えられるように作られていました。外面は花崗岩、内面はレンガで、砲弾の衝撃を吸収するために間に土が詰められていました。

ラッフルズハウス(Raffles House)

Raffles House
Raffles House

もとは1822年に東インド会社のトーマス・スタンフォード・ラッフルズが住居として木造建築で建てました。

その後はイギリス政府に買収され、総督府(Government House)として歴代総督が住居とし、新古典主義様式で再建されましたが、フォートカニング砦の建設のため、1853年に取り壊されました。

現在のラッフルズハウスは2003年に完成したものです。

結婚式などのイベント会場としても使用できるそうです。

旗竿(Flagstaff)

Flagstaff

1825年には旗竿が建っており、様々な旗でシンガポールに入る船舶の国籍や会社、船舶の到着などを伝える通信手段となっていました。

赤い旗はヨーロッパからの郵便物、黄色い旗は中国からの郵便物を示しました。

イギリス植民地時代にはイギリス君主の誕生日を祝うために旗竿が装飾されるのが慣例でした。

日本軍占領中は理由は不明ですが撤去されました。攻撃の的にされたから、とも言われています。

第二次世界大戦後、イギリスは丘に別の旗竿を建てましたが、それは国旗掲揚のみに使用され、信号送信塔が建設されたときに撤去されました。

現在の旗竿はレプリカです。

灯台(Lighthouse)

1903年に建てられたフォート・カニング灯台は、マラッカ海峡を渡る船にとって重要な13の灯台のうちの一つでした。

丘と灯台の高さを合わせた60メートルの標高により、30キロメートル離れたところからも見えたそうです。

1958年に廃止され、現在の灯台はレプリカです。

9ポンド砲(9 Pound Cannon)

9 Pound Cannon

ここは19世紀に主砲が設置されたエリアです。

この大砲はフォート・カニング正門の装飾として長年使用されていた一対のひとつです。

9ポンドの砲弾を発射するように設計されていましたが、すでに時代遅れになっていたためフォート・カニングでは使用されませんでした。

これらの一対の大砲は、おそらくかつてパダン川の東端にあったスキャンダルポイントなど、初期の要塞で使用されたものだと考えられています。

雑記

この公園の敷地面積は18ヘクタールあるそうで、結構歩いた気がします。

他の観光客もあまりいなかったので、ゆっくり見て回ることができました。

史跡,第二次世界大戦

Posted by sata04