大倉喜八郎銅像(東京都港区)
ホテルオークラ正面玄関前の「大倉集古館」前に大倉喜八郎の銅像があります。
大倉喜八郎は大倉財閥の創設者でもあり、「死の商人」とも「稀にみる士魂の持ち主」とも言われた実業家です。
大倉鶴彦翁像(大倉喜八郎像)

越後国(新潟県)新発田の名主の家に生まれ、18歳で江戸に出て乾物商となり、慶応3年(1867)に鉄砲商「大倉屋」を開業すると大当たりしました。明治5年(1872)には欧米へと渡航し、帰国後は大倉組商会を創設し貿易業に着手。
土木建設請負業にも積極的に取り組み、渋沢栄一、藤田伝三郎と共に明治20年(1887)日本土木会社を設立しました。
帝国ホテル、日本銀行、歌舞伎座、琵琶湖疏水などの建造を請け負いました。
台湾出兵、日清・日露戦争でも軍需物資の調達や輸送を請け負い膨大な利益を得て、大日本麦酒(現アサヒビール)や帝国劇場など多くの事業を興しました。


この銅像は大正2年(1913)に武石弘三郎が原型制作を行いました。
偉人の銅像としては珍しく片方の草履を脱いだくつろいだ姿です。
「鶴彦」は大倉喜八郎の号だそうです。