経世塚(千葉県松戸市)


経世塚(けいせいづか) 松戸市指定文化財
天文7年(1538)10月5日、小弓公方足利義明と、古河公方の命を受けた北条氏綱が松戸相模台で衝突しました(第一次国府台合戦)。
結果は北条方の大勝利で、小弓公方足利義明、嫡男義純、実弟基頼、宿老逸見祥仙らが討ち死にし、小弓公方府は事実上滅亡しました。
『本土寺過去帳』 では「下総国相模台御合戦大弓上意御父子基頼御三人始メ申千余人之打死也、天文七年十月七日申酉二時之御ー戦也」とあって、この合戦を「相模台合戦」と記しています。
経世塚はその供養のために作られたとの伝承があったそうですが、大正8年(1919)に陸軍工兵学校が開校、その際に壊されてしまったそうで、昭和5年(1930)に復元。現在の塚は平成7年(1995)に聖徳大学によって移転の上復元されたもので、聖徳大学のキャンパス内にあります。
第一次国府台合戦関連の軍記物
千葉県デジタルアーカイブの房総叢書の第2巻には「国府台戦記」と「小弓御所様御討死軍物語」が収録されています。
「国府台戦記」には足利義純の乳母「れんせい」が若君の訃報を知ってこの相模台まで駆けつけ、若君の霊と再会し、いかに若君の死を悲しんだかのエピソードが載っています。
雑記
聖徳大学キャンパス内にあるため、普段は守衛さんに許可をとってからの見学になるそうです。今回は学園祭で一般開放されていた日に伺いました。
参考
丸島和洋 著. 東日本の動乱と戦国大名の発展, 吉川弘文館, 2021.2, (列島の戦国史 ; 5)