旧九段会館(東京都千代田区)

もとは「軍人会館」として昭和9年(1934)に帝国在郷軍人会が主導して競技設計1等案をもとに建てられました。開館後は帝国軍人会の本部が置かれ、主に在郷軍人の宿泊施設、ホールとして活用されました。
昭和11年(1936)の二・二六事件の際には、鎮圧のための戒厳司令部が置かれました。
終戦後の昭和20年(1945)9月にはGHQに接収され、「アーミーホール」の名称で連合軍宿舎・慰労施設として使用され、昭和28年(1953)に日本政府に返還されました。政府は日本遺族会に施設を無償貸与し、名称を「九段会館」として改めました。
昭和32年(1957)10月1日からは宿泊施設・コンサートホール・結婚式場として営業、平成23年(2011)3月の震災で閉業しました。
令和4年(2022)10月からは旧九段会館を一部保存、復元し再建し、8つの”貸し会議室”と”2つの宴会場”を有した「九段下テラス」として開業。

昭和9年(1934) | 軍人会館として落成 |
昭和11年(1936) | 二・二六事件の戒厳司令部が置かれる |
昭和20年(1945) | GHQに接収される。名称が「アーミーホール」となる |
昭和28年(1953) | 日本政府に返還。名称が「九段下会館」となる |
昭和32年(1957) | 宿泊施設、コンサートホール、結婚式場として開業 |
令和1年(2019) | 登録有形文化財(建物)に登録 |
令和4年(2022) | 「九段下テラス」として開業 |
歴史の小径

九段下テラスのエントランス正面には「歴史の小径」があり、戦前からある記念碑等が保存してありました。
- 軍人亀鑑碑
- 表忠碑
- 楠公記念楠
- 乃木大将詠草碑
- 西征陣亡陸軍士官学校生徒之碑
- 貝塚碑
- 弥助砲
- コンクリート杭先端部
- 鉄骨柱の柱脚部分
楠公記念楠


武将楠木正成をしのんで植樹された楠が現在も残されています。石碑には、海軍大将東郷平八郎(1848-1934)の書により「楠公記念楠」と刻まれています。
歴史の小径案内板より
東郷平八郎による石碑はこれかな?と思いましたが違うかもしれません。字が何も確認できませんでした。
ところで昭和史跡などに訪れると今回のように突然南朝顕彰碑に出会うことがあるので、戦前に南朝顕彰がいかに盛んだったのかと実感することになります。特に今回の東郷平八郎のような知名度のある軍人が揮毫した顕彰碑が多い気がします。
この旧九段会館が落成した昭和9年(1934)といえば、後醍醐天皇の建武の中興(建武元年・1334)からちょうど600年ということで、一部の軍人・神職・歴史家たちが大々的に建武中興600年記念事業を行っていた年であり、当時の商工大臣である中島久万吉が書いた足利尊氏を再評価すべき、という内容の「足利尊氏論」が雑誌「現代」に載ったことで辞職に追い込まれた年でもあります。