予科練平和記念館

茨城県稲敷郡にある予科練平和記念館に行ってきました。

「予科練」とは「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称です。14才半〜17才までの少年を全国から選抜し、搭乗員としての基礎訓練を行ったそうです。

予科練平和記念館
設立趣旨

展示構成

展示構成は7つ。予科練志望者の憧れであった「7つボタン」の制服にちなんで入隊から特攻に至る7つのテーマで構成されています。

1 入隊

「募集」「志願」という2つの側面から予科練を目指した時代的な背景や制度の変遷について。また日記や手紙の展示から少年たちの心情なども。「7つボタン」の制服もここに展示してあります。

この展示で初めて朝鮮・台湾からの予科練生の存在を知りました。終戦後、朝鮮出身者は間もなく帰国でき、台湾出身者は他の練習生や教員が復員していくなか基地を進駐軍に引き渡す作業を続け、自炊しながら帰国船を待ち土浦海軍航空隊の最後を見届け、台湾に帰れたのは年が明けてからだったそうです。

2 訓練

予科練での生活や訓練風景、教育の様子などをイラストや写真、実物などで紹介。

教室を再現したかのような展示室で、教科書や机の他に吊ってあるハンモックなどで当時の少年たちの生活を現実感を持って感じられるような展示になっていました。ハンモックで寝ていたことに驚きましたが、将来戦艦勤務になる前提でのことだそうです。

3 心情

白を基調とした部屋で壁に沿ってぐるりと一周分置かれた椅子と机があります。机には予科練生の手紙を掲載した本が置いてあり、腰を据えて少年たちの「心情」に触れる展示となっています。

4 飛翔

予科練卒業後、「飛行練習生」となった少年たちが飛行練習生過程を終え各戦線へと旅立っていく過程をパネルや写真、遺品などで展示。

予科練生は入隊して数カ月後に飛行適性検査が行われ操縦か偵察にコースが分けられるそうですが、その検査には山本五十六によって骨相学も取り入れられたとあって驚きました。占いなどの影響がまだ強い時代だったのでしょうか。

5 交流

戦時下の予科練生と予科練があった阿見の人々との交流を手紙や写真で紹介、「倶楽部」と呼ばれた隊外の民家の一角の再現などの展示。

壁面では当時の広告が戦争中にどう変化していったのかという展示も。

6 窮迫

空襲に関する映像展示。

7 特攻

予科練と特攻についての映像展示。

特別攻撃隊の成立から予科練との関わりを中心とした映像。最初の特攻は海軍によって行われ、土浦海軍航空隊で予科練時代を過ごした甲種第10期生を中心として隊が編成されたそうです。海軍航空機による特攻での死者の7割は予科練出身者だそうです。

これまでの展示を通して入学から卒業までを見守ってきた少年たちが、最後のこの部屋で「特攻」という形で亡くなってしまうのにはなんとも言えない思いが湧き上がりました。

飛行予科練習生度が始まってから終戦まで15年、24万人が入隊し2万4千人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴き、戦死者は8割の約1万9千人にのぼったそうです。

屋外展示 零戦模型

零戦模型

2015年に開館5周年記念事業として実物大零戦模型を制作。

雑記

来てみて驚いたのは館外も館内も盛況だったこと。女性だけのグループ、男性だけのグループ、カップル、お子さん連れのご家族、などとても来訪者が多かったです。

館外では朝市ということでお店も出店していました。

受付には福原遥さんのサインもありました。「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」という映画のロケ地になったそうです。映画「ゴジラ−0.1」でも資料協力しているそうです。

霞ヶ浦平和記念公園 朝市
開館時間午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)12月29日~1月3日
観覧料一般500円(団体:400円)小・中・高生300円(団体:240円)

博物館,第二次世界大戦

Posted by sata04