前ヶ崎城跡(千葉県流山市)
前ヶ崎城は、16世紀半ばに松戸市の小金城を拠点とする高城氏の支城として築かれ、現在は前ヶ崎城址公園として整備されています。


主郭部


公園として整備されているのでベンチや東屋、水飲み場がありました。
尾鑿山(おざくさん)大権現

尾鑿山(おざくさん)大権現と刻まれた石塔。
嘉永4年(1851)の製作。
この石塔には前ヶ崎だけではなく、向小金新田や中金杉村、小金待ちなどの人名が記されており、尾鑿山の「講」があったと考えられているそうです。
尾鑿講(おざくこう)
石裂山(おざくさん)は尾鑿山とも書き、山岳信仰の霊地の一つです。
通称石裂山と呼ばれる賀蘇山神社は栃木県上都賀郡粟野町に所在し、五穀豊穣と医薬長寿の俗信があるそうです。
参考:流山の講 (流山市立博物館調査研究報告書 8)
雑記
「房総の古戦場めぐり」によると、豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条氏に味方した前ヶ崎城主の高城胤則は小田原城の落城とともに早馬を飛ばし、もし秀吉軍が攻めてきたら抵抗せず城を明け渡すよう留守居役たちに命じ、その命令に従って城を明け渡したため前ヶ崎城址は「不戦の古戦場」であるそうです。
ところでこの城址の大手門あとで古武士3人の後姿の幽霊を何度も見たという人が流山市内にいたそうで、流山市在住の歴史評論家からそのことを聞いた著者の府馬清さんが新聞に書いたところ、それを読んだTBSが録画したいと言ってきたそうで放映もされたそうです。昭和51年10月のことで、その際に埼玉県の霊能師宗川円学氏が、むかし前ヶ崎城内でお家騒動があり、この大手門の近くで3人の武士や城中の婦人らが犠牲になったと断言したそうです。
今では周辺にラーメン屋があったり公園としてきれいに整備されているので幽霊がでるようには見えませんでしたが、昔の写真を見ると木々がうっそうとしていて雰囲気がだいぶ違うように感じました。
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